
「2006年に教育基本法が変わって…」と教育情勢を語ることがあります。
学習指導要領が変わったり、最近では教育調整額が話題で教員のあるべき働き方が様々な角度から語られたり、教育のあり方がどんどん変わっています。
こうした中で、「教育はこうあるべき」と教職員組合が語るときがよくあります。そんなときに、ただ単に情勢を批判するのではなく、歴史的な地域の教育運動の上に立って今日的な教育問題を語りたいものです。
たとえば、宗谷の教育運動で

宗谷の教育運動といえば「教育課程づくり」の運動です。
子どもたちや地域の実態をもとに、学校の教育活動を検討するというものです。
これまで書いてきたように、口承文化として語り継がれてきたところは、教育運動にも通じるところはあるでしょうから、改めて学ぶ必要があることもあるでしょう。
親愛なるじーちゃん方に聞く…という方法もあるのでしょうが、「そのじーちゃん方はどんな本を読んでいたのだろう」と改めて書物で歴史を紐としてみるのもありでしょう。
大事なところをグッと確かめつつ伴走できる運動を
サラッと言ってみましたが、今日的には様々な制約があって、こうした営みを創り出すのはなかなか至難の業です。ただ、教職員組合はうまくいっている事例を取り上げ一般化して教訓にするというのがセオリーです。
今日的なあり方としては、「最近の学校、どう?」からはじまる語り合いの中に、「教育課程づくり」の視点を持ちつつコーチングをする…みたいな感じになるでしょう。
昔だったら、どこかのうまくいっている事例を挙げて「やってみよう」と士気を高めることが教職員組合の役割だったのかもしれませんが、いまは、伴走するようなイメージが大事なのでしょう。
困ったときの「学校運営の基本」
宗谷には、教育関係者が昔から「大事だ」と確かめ合ってきた「学校運営の基本」というものがあります。ものすごく当たり前のことだけ言っているので、誰も否定できない仕掛けがあります。
学校運営の基本は、保護者・住民の教育への願いに応える教育活動を豊かに進めることです。具体的には、子どもたちの健やかな成長のために、すべての教職員の経営参加のもとに民主的に運営されることが望まれます。
宗谷の教育運動の歴史は1970年代まで遡ります。よく言う「理解と納得」とか「力合わせ」という文化はこの頃から時代を経ても大切にされているものです。新旧・教育基本法にある「人格の完成」という教育の意味を改めて捉え直す機会でもあります。

「学校運営の基本」は、行政の言いなりになるだけでなく、目の前の子どもたちのための授業実践を追求しつづけることの大切さを考えるための言葉です。
専従をしていたときに、「どこそこの学校が大変なことになっている」と一報が入り、共に対策を考えるような場面がありました。そのときには、この「学校運営の基本」を改めて読んでみて、「ここからどうしようか」と考えていたものです。
できるだけ簡単な言葉でサクッと教育の本質を語ろう!
いまの時代は、難しい教育用語で語るだけではなく、できるだけかんたんな言葉で語ることが求められています。
「求められている」というか、そうしないと万人には通じないのです。
多くの人に「いいね」と支持してもらえないものは、まるでないものかのようになってしまいます。
だからこそ、日頃からサクッと教育のいいところ、教職員組合のポップなところを語れる力を身につけて、どんどん発揮していく私たちでありたいものです。
