改めて「宗谷の教育」ってなんだろうと考える

改めて「宗谷の教育」ってなんだろうと考える

宗谷の教育運動の中で、歴史的に特徴的なものといえば「宗谷の教育合意」というものがあるでしょう。それってなんだったんだろう、今につながる財産はなんだろうとふと考えてみたのです。時間があったらもっとちゃんと年表的な整理ができたらいいのでしょうが、まずは思いつくままに…。

1960年代とはどんな時代だったのだろう。

1960~70年代という時代と、そのときの教育施策を整理しないと日本の中央と最北端宗谷の特徴的な出来事を結びつけられないような気がしてならないのだけれど、そこはそのうち解明するとして、「憲法と教育基本法によりどころを求める」としているふたつの文献を見比べてみたいと思うのです。

ひとつは、「教育制度検討委員会 梅根 悟編」の「日本の教育はどうあるべきか」。もうひとつは横山幸一・坂本光男の「宗谷の教育合意運動とは」。

時代の背景…期待される人間増

1960年代の教育改革といえば「期待される人間増」。

教育の目的は,国家社会の要請に応じて人間能力を開発するばかりでなく,国家社会を形成する主体としての人間そのものを育成することにある。

1966/10 答申等  後期中等教育の拡充整備について (第20回答申(昭和41年10月31日)) 
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/661001.htm#3

時代は高度経済成長。社会と個人を「人材育成」や能力をキーワードに結びつけるという意味をもつものと言えるでしょう。

「日本の教育はどうあるべきか」の中で…

改革の理念と課題という中で「教育とは何か」と本質的な整理をし、「私たちの考える人間像」として、次のような整理をしています。

こうした現実を直視するとき、私たちはこのような事態を払拭しようとして、教育基本法がかかげた「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとぶ」人間という人間像に向って青少年を教育することの重要さに思いをいたさないわけにはいかない。

教育制度検討委員会 梅根 悟編「日本の教育はどうあるべきか」98ページ

人材の育成に対して、人格の完成の本質を追究するという、私たちになじみ深い考え方が提起されいてます。

ところで、宗谷の教育運動の歴史的なつくられ方は…

ここでひとつ経験則として思い出すことがあるのです。

宗谷の教育運動は決して「上から降ってきた」という提起の仕方はしないということです。

学習指導要領が変わるような全国的に同時に起こる教育課題であったとしても、「私たちの目の前が大変なことになっている。だからこの取り組みをしなきゃいけないんです」といった作り方に徹します。最もわかりやすいのは「へき地級地を守る闘い」で、国や道で改定のスケジュールが見えると同時に、地域を語り世論をつくりに入っていく…。「宗谷の教育運動とは」を読んでいても、そのようなつくられ方をしていることに気づくのです。

そんなふうに思いながら、「宗谷の教育合意」のことを改めて…

「宗谷の教育合意運動とは」を読むと、1963~1965年に宗谷を襲った大凶行、1961年に文部省が実施した全国一斉学力テストと組合の闘いなどが背景にあって、そのうえで1974年に「教育とくらしを守る大運動」が提起されていく・・・とあるのです。前述したように、国(組合的には「中央」)での動きは感じられない「作り」になっているのです。

歴史を整理してみたくなりませんか?

両文献から断片的に1960~70年代の出来事を切り取ってみましたが、もう少し歴史を紐解いてみたくなります。そのとき、教育運動を提起していた人たちは何から学びどう考えていたのかということこそ、本質で、たとえ今とは違う時代であり、情勢であっても、参考になる考え方はたくさんあるような気がしてならないのです。

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