優しく穏やかに分かり合えるための言葉の秘密

ふと考えたことがあります。

昔々の教職員組合をひっぱっていたみなさんはどんなふうに、教育条理を語る術を身につけてきたんだろう
そんな疑問から教育会館に眠っている資料や書物を時間の限りに読み漁る時期がありました。
もともと大学時代から教育の歴史や仕組みを紐解くのが好きだったこともあり、「宗谷の教育運動」をより深く知る機会は束の間の楽しさではありました。
そして、気づき学び考えさせられ、今日的に工夫しているのは「わかりやすい言葉で語ること」です。
驕ると履き間違える「区別と関連」
実に難解な用語がたくさんあふれている宗谷の教職員組合運動の中で、最も難解なものに「区別と関連」があります。
たとえばひとりの先生として
教職員組合に加入している「ひとりの先生」である「わたし」は、「うちの学校の先生方」のひとりでもあります。

教職員組合で「これが大事だ!こういう学校をつくろう」と語って『そうだなぁ』と思ったこと、学校づくりの中でバランスを取ったり調整をしたりする自分、そのバランスをどのように創るかというのが「区別と関連」です。
たとえ、職場の先生全員が教職員組合に集っていてみんなで「これが大事!」と思ってるとしても、公に行われる学校運営における意思決定の場は尊重されなければならない、というのが「区別」。管理職も含めて改めて共に理解をし合う気遣いが必要だということです。
それに対して、教職員組合の教育研究運動で学んだことエッセンスをを自分の教育実践の参考にしてみるというのが「関連」。
このふたつをバランスよくやっていくのが「区別と関連」ということです。
どんなことにも「区別と関連」は起こりうる
組合の決定が、さも学校の決定であるかのような誤解をしてはいけない…という戒めの言葉。
それだけじゃなくて、教職員の一人ひとりがもつ主義主張のようなものがあったとしても、子どもたちのためにはそこは置いておいて教師の責務で一致する…という意味もあるのだと思います。
この言葉、おそらく1970年代とかに端を発していると思われます。似たような言い方に「セクトに陥らない」…という言い方もじーちゃん方はしていたなぁと記憶しています。
教職員組合と学校の「区別と関連」のほかには、市民団体と教職員組合の「区別と関連」など、世の中をよくしたいと思う人たちの中にだって「区別と関連」は生まれるものだと思っています。組織を考える際に、一番大事な立ち居振る舞いなのではないかと思います。
言葉にはこだわりをもちたい
宗谷の教職員組合運動に、こうした言葉がたくさんあるのは、「言葉にはこだわりをもちたい」という思いがあるのではないかと思うのです。
言葉は分断の道具になることがあります。
例えば、教職員組合の価値観で言い放ってしまう言葉も例外ではありません。「改悪教基法」の『改悪』や、「安全保障関連法」のことを「戦争法案」というなど…がそれです。仲間内では理解できてしまう便利な言葉も、教職員組合への正しい理解を自ら阻んでしまうことだってあると思うのです。
言葉を大切にすることは、理解の輪を広げます。だからこそ、優しく穏やかにわかりやすい発信を心がけています。
