
宗谷の教育運動には、もう少し細分化するといくつかの特徴的な運動に分かれます。
ふたつに分けるとすると合意書の運動、教育研究運動です。
その根幹にあるのは、「学校づくりでの一致」をどう図るかといったことになるわけです。
わたしは、その時代を生きたわけではありません。その時代の子どもだったわけでもないし、宗谷の人でもないし、でも伝承的に伝え効いた話や実践記録的な文献をもとに、「こんな感じかな」とまとめるところからはじめてみます。
三づくりの実践的統一とは
この言葉は「授業づくり」と「学級づくり(集団づくり)」と「学校づくり」を一体的にやっていく的な意味合いが今日的にはあって、10年くらい前に教職員組合運動で紹介したことがあるので、言葉だけは知っている世代がいるのです。
よくよく調べてみると、合意運動の根幹である「憲法と教育基本法を拠り所にして学校の全教職員が一致する」ということを実現させるために、その時代の『現状』を憂いて使われたスローガンだということがわかります。
宗谷の合意運動を進めた横山幸一さんの言葉に「肉離れ」という表現があります。「うまくいってない」という意味の表現なのだろうと思います。
- 授業づくり 授業だけでは人格の完成はなしえない
- 集団づくり 民教運動と学校研究の関連…「教師の個人主義」という課題
- 学校づくり 私はひとりの「担任」でしかないから…といった学校内でのよくない役割分担意識
その時代、宗谷の教育研究運動の歴史ではおなじみではありますが、民間教育研究運動などを激しく嫌った時代がありました。合意運動に一致するという点で言えば、異なる主義・主張との意見の相違があったのかもしれません。その名残で今でも民教運動や教育連盟の流れは宗谷にはほとんどありません。
さて、話を戻してその時代のことはわからないものの「『授業だけやればいい』『学校はおざなりにして民教運動にいそしむ』ということはよくない」ということを訴えているのがこの「三づくりの実践的統一」なのでしょう。
すべての活動を通して子どもの全面的発達の保障を目指す視点を持ち、それを責務として全教職員で実現する・・・というのがこの「三づくりの実践的統一」ということなのです。
後世を生きる私たちはどう考えるべきか
時代が移り変わって、令和の現代。「三づくりの実践的統一」に代表される【力合わせ】の考え方はいまの職場づくりにも大きな意味をもちます。この言葉が憂いていたような職場の分断は、今ではあまり見られないのではないかとも思います。
一方で、主義や主張ではなく、例えばファシリテーションの手法やカリキュラム評価にような学問に基づくものなど、学校づくりに取り入れるべき考え方はいろいろとあるものです。こうした知恵を結集をして子どもたちの成長のために一致する・・・そんなふうに考えることが今日的な「三づくりの実践的統一」なのではないかと思うのです。
