
みなさんは、「ねぇ、専従やってほしいんだけど…」と言われたら、どう考えますか?
いま、私が言われたとしたら『うちの家族をどう説得したらいいかな』が真っ先に出てきます。あとはそんなに壁はありません。それは13年前も変わりませんでした。ちょうど学芸会の前の時期でした。支部代表者会議のあとのコトだったと思います。当時の委員長から話を受けました。そのときは後先考えずに「組合のためになるならいいのかな…」くらいに考えていました。私がよくいう「組合っていいなを広めたい」というヤツのきっかけがここにあったのかもしれません。
2012年、いざ専従になると大変なコトがいっぱいありました。一番大変だったのは「歴史との闘い」。
宗谷の教職員組合運動にはミルフィーユみたいに積まさった長い歴史があります。そこで、今の時代の教員を生きる「私」の基準で、それぞれの時代の運動の教訓を導き出そうと思ったのです。私はこのころ、組合の運動を考える際にこうして編み出した『直感』を頼りにしていました。この『直感』、不思議なことにビシッと当たるんです。でもなんとなく自分でも確信をもてずモヤモヤしていた時期でもありました。
さて、時を経た2019年。道教組は「私たちは教職員組合に集う『仲間』を増やしていく」という言葉を編み出しました。各単組で学びが広がりました。網走では夏の合宿研で『仲間』や『語る』という意義や意味を真剣に議論してくれました。上川では、今後の展望を導き出す積極的な議論をしてくれています。渡島では、仲間を増やしていくの『そのココロ』を『愛』だとまとめてくれました。
すごく後ろ向きな若者言葉に『オワコン』というのがあります。「終わったコンテンツ…一時は栄えていたが現在では見捨てられてしまったこと」という意味です。私は道教組運動をみなさんと一緒に、「道教組運動を『オワコン』にしないための『力合わせ』」をしていきたいと思うのです。
さらに時が流れて、アフターコロナの時代に入りました。道教組運動はいま、SNSの活用をするという新しい時代に入っています。ここまで長い月日がかかりました。また、コミュニティ・オーガナイジングの手法を学ぶ仲間が増えていることにも希望を感じています。私が若い頃漠然と感じていた「直感」を、みなさんとともに「理論」に生まれ変わらせ、道教組運動に生かす視点をみなさんと少しずつ共有します。
